わさび田開墾をはじめたきっかけ


廃耕田となったわさび田跡。

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わさび田を初めて見た時のこと

私がわさび田を初めて見たのは中学生の時でした。奥多摩湖までバスで行き、水根沢林道を歩き鷹巣山を目指していた時でした。登山道の下には水が轟々と流れる水根沢があり、少し緊張して歩を進めていた時に、突然目の前に現れたもの、それがわさび田でした。

山々の織り成す風景と、その中に流れる清涼な沢水、そしてその風景の中に現れた巨大な緑の階段。その風景は圧巻でした。


奥多摩のわさび田が消えた!

あれから30年が経ちました。時折、登山で奥多摩を訪れていましたが奥多摩の景色は大きく変わっていきました。わさ田がどんどんなくなっていったのです。冬でも青々とした葉を渓流沿いに並ばせる段々の田んぼはとても美しかったものですが、生産者の減少、度重なる獣害、スギの植林によって保水力を失い水量の減少した山、とどめは台風19号の被害。さまざまな要因が重なり、次第に緑の階段は無くなっていったのです。


「広報おくたま」より台風19号によるわさび田の流出状況。収穫前の多くの流出したわさびを前に多くの耕作者が継続を断念した出来事であったという。

あの風景をもう一度

今、奥多摩で山岳救助の仕事をしていて、登山道を外れて歩くとあちこちに崩れた、時には当時の形を保った段々の田があります。

しかしそこにはかつてのような緑はなく、潰れた小屋、時には小屋の跡形も無く炭焼きを行なっていたであろう場所に黒い土が広がっていたり、枯れた沢にびっくりするほど立派な石組みが残るだけです。

あれから30年が経ち、奥多摩で働くことになった私はなんだかあの風景をもう一度見てみたくなったのです。


わさび田開墾に欠かせない道具(かずさ)です。

誰がわさびを耕作しているの?

結局、奥多摩のわさび田の多くは担い手がいないことや水の流れが変わったり、多くの土砂災害を経て手放されて荒廃してしまったのです。また、林業が栄えたことから多くの広葉樹が切られて、育成の早いスギやヒノキと言った針葉樹が代わりに植えられたこともわさび田の衰退の要因です。

今わさびを耕作している多くの人は、70歳を超えるような大先輩方です。その意思を引き継いで、わさびを耕作する人がほとんどいないのです。また、先輩方も技術の伝承と言うよりは、知識の囲い込みといったような気持ちが強い方が多く、その技術の伝承が止まってしまいそうなのです。


そんな中でもわさびを始めてみようと情熱を持った私に対して知識や技術を伝承してくださる方も増えてきました。やはり一生懸命はきっと誰かに伝わるのだと思いました。

わさび田の開墾予定地に行ってきました

私がワサビ田を開墾しようとしている場所は針葉樹林ではなく、広葉樹の森の中です。そして水も豊富で湧き水がたくさん沸いています。 自分がわさび田をやるなら、こんな場所でやりたいと探しつけた場所であり、良いわさびができる標高や水温等も全て満たしています。

なんでこんな良い場所が空いていたか?という要因としては、 まずは国道から林道に入り30分。またそこに車を停めてから40分間歩かないと到達しない場所であるからです。

耕作用の荷物やセメントを荷上げするだけでも大変な苦労です。そこは「やりがい」という言葉で片付けようと思っています!!

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この記事を書いた人

◆ MA-SAN
1978年製山岳仕様。登山歴25年。
中学生の頃から奥多摩に通う奥多摩好き。
本業はヤマデハタラクヒト(rescue & First Aid)

◆わさび栽培
中学生の頃見た「緑の階段」が忘れられず
興味を持っていたわさび栽培への道を模索。

2023年から奥多摩のわさび職人のもとで
本格的にわさび栽培に取り組み始める。

仕事の傍、多くの廃耕田を発見し、
2023年山歩きの途中で30年以上は
使われてないであろう理想のわさび田を発見。
山林を所有する町と契約し耕作を開始する。

2024年より奥多摩わさび組合に所属、
先輩方のもとで伝統的なわさび栽培を学ぶ。

◆きのこ栽培
わさび田の傍で奥多摩の清涼な空気と清流を利用した、
きのこ栽培にも取り組み中。

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