最初は、門前払いだった
わさびを作り始めた頃のことを思い出すと、今でも少し苦笑いしてしまいます。誰もやり方を教えてくれなかったどころか、わさび田を貸してもらうことなんて、なおさら無理でした。声をかけても、返ってくるのは曖昧な返事か、沈黙。
「この世界はそういうものだ」──そう言われたら、それまでです。
それでも、奥多摩で暮らし、この土地の水に惚れ込み、どうしても“自分の手でわさびを育てたい”という気持ちだけは消えませんでした。少しずつでも続けていたら、気づけば周りの空気が変わっていきました。教えてくれる人が増え、声をかけてくれる先輩ができて、拠点は大丹波へ。自分のわさびの中心は、いつの間にかこの場所になっていました。
大丹波の大師匠が、託してくれたもの
大丹波には、わさび作りを始めて60年以上という大師匠がいます。畑を見る目、石を触る手、水を読む感覚──すべてが別格で、同じ場所に立っていても見えている景色が違う。そんな人です。
その大師匠が、ある日ふと、こんなことを言いました。
「ここ…お前、やってみるか」

聞けば、そのわさび田は師匠が父親と二人で作った場所だそうです。山の中で石を積み、流れを作り、少しずつ畑にしていく。言葉にすれば簡単ですが、そこには時間と体力と、何より“暮らしそのもの”が詰まっています。師匠にとっては、畑ではなく、家族の記憶が染み込んだ場所。そんな場所を譲るというのは、軽い話ではありません。
台風19号で、わさび田が消えた
ただ、その沢は6年前の台風19号で大きな被害を受けました。台風19号で奥多摩のわさび田は半分が流出したとも言われています。
ここは沢に降りる道が崩れてしまい、復興が難しくなったそうです。以前一度案内していただいたことがありますが、あそこは“降りる”ではなく、“降りさせられる”ような崖でした。足場は脆く、落ちれば終わりに近い。師匠が直すことを諦めた理由が、現場を見れば痛いほど分かりました。

それでも、ロープで降りて行くと、沢では水が生きていました。今の時期でも枯れない水が、静かに、ずっと流れている。
「水が生きているなら、まだやり直せる」
そう思った瞬間、自分の中で何かが決まりました。
「必ず復活させます」──言葉にしてから始まった1週間
師匠に「必ず復活させます」と言いました。口にした瞬間、逃げ道が消えました。
この沢を“もう一度畑に戻す”という責任が、自分の肩に乗った気がしました。

水口を詰まらないようにするために廃パイプを利用し沢がこれ以上埋まらないように。

そこから約1週間、とにかく手を動かしました。崩れた石垣を汲み直し、長い間使っていなかったことで蔓延ってしまった木の根を抜き、詰まったゴミを取り除き、水の通り道を作り直す。たった数センチの高低差で水が変わるので、石は一つひとつ、置き直しては流し、また直す。地味で、終わりの見えない作業です。

でも、不思議なもので、手を入れれば入れるほど、水は応えてくれました。濁りが抜け、流れが整い、沢が息を吹き返していく。
「この場所は、まだ生きてる」
そう確信できた瞬間が、何度もありました。
受け継げることの重みと、静かな満足
この沢は、師匠が父と二人で作り、守ってきた場所です。ずっと受け継がれてきた時間の上に、自分が立っている。そう考えると、胸が熱くなります。
そして正直に言うと、ものすごく嬉しい。
「やってみろ」と言われるほど、自分はこの世界に入ってきた。門前払いの頃には想像もしなかった景色です。

1週間後、直りました!と伝えに行ったら直ったわさび田を見てこちらを振り返ることはせず、師匠はただただ頷いていました。
この大切な場所を受け継がせてもらえることは少し寂しく、そして心の底から満足しています。
3月、苗が届く。まずは実生250本から
3月には苗が2000本ほど届く予定です。この新しい沢には、まず実生苗を250本ほど植えて、成長の様子を見てみようと思います。いきなり欲張らないで、水の具合を見つつ、土を見て、季節の癖を知り、一本ずつ育てる。
ここから先は、結果で恩返しをするしかありません。師匠が父と作った沢を、もう一度わさび田として立ち上げる。
そしていつか、ここで育った一本を、胸を張って差し出したいと思います。


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